
僕は、人が好きです。
それと同じくらい、
お金も好きです。
急に正直です。
でも、
「人が好きです」
と言いながら、
お金の話をまったくしないのも、
少し嘘くさい気がします。
人も好き。
お金も好き。
これでいいと思っています。
一万円札も変わりました。
昔は福沢諭吉。
今は渋沢栄一。
僕の好きな人も、
一万円札と一緒に変わりました。
昔は、福沢諭吉が好きでした。
独立自尊。
自分の足で立つ。
人に頼らない。
強い人間になる。
かっこいいです。
一万円札ですし。
でも最近は、渋沢栄一の方がしっくりきます。
人と人をつなげる。
事業と事業をつなげる。
信用をつくって、お金を回す。
これが面白い。
結局、お金は一人では増えません。
人の間を流れて、
初めて生きてくる。
財布の中で寝ている一万円札より、
誰かの仕事になった一万円札の方が、
たぶん幸せです。
たぶんです。
一万円札に聞いたことはありません。
先日、友人から連絡が来ました。
「お寺に、ある商品を紹介したい」
という話でした。
お寺。
急に仏教です。
僕はインドで出家してから、
ありがたいことに、お寺関係の知り合いも少し増えました。
少しです。
ここは大事です。
僕は僧侶界隈では、完全にペーペーです。
ペーペー僧侶です。
響きだけは、少し可愛いです。
偉いお坊さんでもありません。
お経がめちゃくちゃ上手いわけでもありません。
法話で人を泣かせることも、まだできません。
たぶん、先に自分が泣きます。
でも、ご縁だけは大事にしたいと思っています。
友人が何かを一生懸命やっている。
それがお寺の役に立つかもしれない。
誰かの困りごとが少し減るかもしれない。
そう思うと、
「じゃあ、少し聞いてみようか」
となります。
もちろん、何でもつなげばいいわけではありません。
お寺は商売の場所ではありません。
ここを間違えると、
ただの売り込みになります。
急に俗っぽくなります。
僕も俗っぽいですが、
さすがに限度があります。
お寺には、お寺の空気があります。
僧侶には、僧侶の立場があります。
檀家さんや地域との関係もあります。
だから、無理に押し込むのは違います。
でも、必要としているところに、
必要なものが届くのは悪いことではありません。
商売とご縁は、
敵ではないと思っています。
ご縁のない商売は続きません。
商売にならないご縁も、
続けるにはなかなか大変です。
きれいごとだけでは、
会社は回りません。
でも、お金だけでも、
人は動きません。
このあたりが難しいです。
そして、このあたりが面白いです。
渋沢栄一さんも、
たぶんこのへんで悩んだと思います。
たぶんです。
本人に聞いたことはありません。
でも、
「論語と算盤」
というくらいです。
論語だけでもだめ。
算盤だけでもだめ。
ありがたい心と、
ちゃんとした収支。
両方いります。
お寺に商品を紹介するという話も、
結局そこだと思います。
相手のためになるのか。
無理がないのか。
信用を傷つけないのか。
ちゃんと役に立つのか。
そして、
少しは商売にもなるのか。
ここを隠すと、
逆にいやらしいです。
僕は人が好きです。
お金も好きです。
でも一番好きなのは、
人と人がつながって、
そこから何かが生まれる瞬間です。
仕事になることもあります。
ならないこともあります。
うまくいくこともあります。
微妙な空気になることもあります。
その時は、
だいたいお茶を飲みます。
お寺なら、なおさらお茶です。
僕はまだ僧侶界隈ではペーペーですが、
ペーペーなりに、
縁を紡ぎたいと思っています。
渋沢栄一さんのためにも。
いや、違います。
自分のためです。
あと、友人のためです。
そして、少しだけ世の中のためです。
こう書くと、急に立派な感じがします。
危ないです。
調子に乗らないようにします。
今日も会社はあります。
そして、たぶんご縁もあります。
また書きます。たぶん。