今日は、娘と給食の話で盛り上がりました。
給食です。
大人になると、給食の話で盛り上がることは、ほとんどありません。
大人が真剣に、
「今日のわかめご飯、どうだった?」
とは言いません。
言っていたら、少し心配です。
でも、小学生にとって給食は大事件です。
カレーの日。
揚げパンの日。
フルーツポンチの日。
このあたりは、校内の株価が動きます。
牛乳をこぼす人。
おかわりで並ぶ人。
ゲロを吐く人。
なぜかパンを机の奥にしまう人。
小学校には、小さなドラマが多すぎます。
うちは、長男と次男は小学校から私立でした。
長女は公立小学校です。
これだけ聞くと、
「男の子は私立で、女の子は公立?」
と思われるかもしれません。
違います。
そんな立派な教育理念はありません。
その時その時で、親も必死です。
あとから振り返って、
「あれは教育方針でした」
みたいな顔をするだけです。
経営も子育ても、だいたい後付けです。
領収書も、だいたい後から探します。
でも最近、少し思います。
小学生は、近所の友達と遊ぶのも大事なんじゃないか。
理由は簡単です。
すぐ遊べる。
これが強い。
私立は、友達が遠い。
学校では仲が良くても、放課後に遊ぶとなると大変です。
親が連絡する。
時間を合わせる。
車で送る。
場所を決める。
鬼ごっこをするだけなのに、ほぼ工程会議です。
「15時、公園集合」
「15時10分、鬼決定」
「15時15分、逃走開始」
「安全管理者、母」
「おやつ、各自持参」
「雨天時、中止」
公共工事でも、ここまで細かくない時があります。
その点、公立は近所です。
帰り道で会う。
公園で会う。
自転車で来る。
そのまま遊ぶ。
早いです。
稟議がありません。
子どもの世界に、稟議はいりません。
必要なのは、水筒と勢いです。
うちの長男と次男は、自転車にほとんど乗りませんでした。
自転車デビューは、小学六年生くらい。
かなり遅いです。
補助輪を外す頃には、反抗期が入口で待っていました。
「お先にどうぞ」
みたいな顔で。
一方、長女は普通に自転車に乗ります。
しかも、一輪車にも乗ります。
一輪車です。
あれは、いまだに意味が分かりません。
車輪が一つ。
ハンドルなし。
ブレーキなし。
親としては、不安しかありません。
乗り物というより、棒にタイヤがついた試練です。
発明した人は、たぶん親ではありません。
親なら、もう一個タイヤを付けます。
でも、子どもは乗ります。
友達がやっている。
自分もやる。
転ぶ。
またやる。
少し進む。
調子に乗る。
また転ぶ。
かなり人生です。
大人になると、転ぶ前に考えます。
リスク。
費用対効果。
保険。
責任の所在。
子どもは違います。
とりあえず乗ります。
そして転びます。
強いです。
給食も同じです。
おかわりに行く。
負ける。
次の日また行く。
人気メニューの日は、完全に競争社会です。
カレーの残量を見て、目が変わる子がいます。
あれは小学生ではありません。
小さな投資家です。
需要と供給を、体で学んでいます。
先生が、
「残り少ないから、ジャンケンね」
と言った瞬間、市場が荒れます。
日経平均より素直に荒れます。
勉強も大事です。
でも、公園もかなり大事です。
鬼ごっこで本気で逃げる。
一輪車で転ぶ。
給食のおかわりで負ける。
それだけで、だいぶ社会です。
走る。
転ぶ。
並ぶ。
負ける。
たまにカレーが残っている。
世の中、だいたいそんなものです。
私立が悪いわけではありません。
公立が絶対正しいわけでもありません。
ただ、娘と給食の話をしていて思いました。
小学生は、近所で遊んで、給食で盛り上がって、公園で転んで、だいたい育つ。
親が思っているより、子どもは勝手に育ちます。
親は横で、
「危ない」
と言いながら、心の中で教育評論家になります。
免許はありません。
今日も僕の頭の中で、教育方針会議が開かれました。
議題は、
「公園、意外と強い」
です。
出席者は僕だけ。
議事録もありません。
お茶も出ません。
でも満場一致で可決しました。
小学生は、公園でだいたい育つ。
給食で少し強くなる。
一輪車でさらに分からなくなる。
父親は、それを見て勝手に反省する。
そして最終的には、揚げパンを思い出す。
忙しい生き物です。
今日も会社はあります。
また書きます。たぶん。
ソフト麺食べたいな。